BIG BROTHER IS WATCHING YOU / ビックブラザー(独裁主義の国家)はあなたを監視しています

by David Life |
November, 2018
yadā yadā hi dharmasya glānir bhavati bhārata abhyutthānam adharmasya tadā‘tmānaṁ sṛjāmy-aham

世界の正義が衰え、不公正が増えるたび、慈悲と思いやりの神がバランスをもたらす為に現れます。

BG IV.7

Audio translation of BG IV.7 provided by Manorama.

「私達は思考を制御できるので物事も制御します。現実は頭の中にあるのです」ー ジョージ・オーウェルのAnimal Farmより

「私をこの世から消すのであれば、私のように皆さんにガミガミ言う存在は今後はなかなか現れないでしょう。ちょっと馬鹿げた言い方かもしれませんが、私は神がこの世に送りこんだ、ガーガーとうるさいハエみたいなものです。例えて言うと、この世は気高い馬のようで、つまり図体が大きいために動きものんびりとしており、でもそこに我々の生活はあります。私は一日中、どこでも、いつでも、馬にまとわりつくハエのように皆さんから離れません。そして、皆さんを喚起し、説得し、叱責する、そんな存在です。」 – ソクラテス

グループシンク(集団思考)とは、創造性や個人の責任を失わせるような方法でグループの一員としての意思決定を行うという習慣をあらわす用語です。グループシンクは、個人に議論の余地のある問題や代替解決策を避けさせ、その結果、個々の創造性、独自性、独立した思考が失われます。この用語は、人々が監視カメラや全体主義政府の監視員のようになった人々に絶え間なく監視されているディストピア(暗黒郷)を描いたOrwellの小説「1984年」の中の”Doublethink”と用語の現代的な派生語です。ビッグブラザーとは、人間の全てのつながりを上から制御や監視を厳密に行う政府のリーダーのことです。グループシンクの特徴は、難攻不落への妄想;疑いのない信念;反対勢力に対して弱いもの、偏ったもの、無力なもの、または愚かなものとする固定概念;異論に対する自己検閲;満場一致に対する幻想;従うことへの圧力;公平なリーダーシップの欠如;自尊心を低くへ導くこと;ストレスの多い道徳的なジレンマ;没個性化に繋がる高い結束力。過去のクループシンクの例には、無意味な政治的決断、カルト的な行動などがありますが、最近では、女性に対する男性の態度、又はその逆の場合も同様にあります。現代のグループシンクは、インターネットによって支配されているため群集習性は究極的に助長され、もはや特別なものというより、考え方の規範となっています。
「ウィルス」とは、良い又は悪いアイデアが、Facebookやtwitterなどでなんども巡り巡って数時間または数日で何十万人もの人の心に感染させることを定義する、実に適切な用語であります。

”私は、ソーシャルメディア、特にtwitterやFacebookが、市民社会の対話の手段として成り立っているのかどうか、ますます不思議に思っています。私が目の当たりにしたり、又は経験した数々の攻撃は衝撃的なものでした。結果的にtwitterやFacebookのコメントには滅多に反応しないのです。”1
ジョージ・オーウェルは1946年に、自身が第二次世界大戦中に目撃した全体主義の危険性に対する反発と警告として「1984年」を書きました:
“私たち、この集団は、全ての記録を制御し、私たち全ての思い出を制御します。そして私たちは過去を制御します、ですよね?”2

私はiPhoneを持っていません。一度も持ったことがありません。従って、人々が他の人と話をしたり、計画を立てたり、最新のニュースを手に入れたり、意見を述べたりしているとき、私は常にカメラ側にいます。私はコンピューターは持っていて、そのカメラのレンズは私を監視することができ、他の人に制御されていることをよく知っています(私は常にレンズをカバーしています)。世界の正義は妖雲のように減少しつつあり、感情的な伝染の影響を受ける人々は集団の流れに乗るために自分の意見を犠牲にする傾向があります。ソーシャルメディア上の偽りの人間関係は、慈悲と思いやりという本物の自覚を、怒りと恨みのそれに置き換えました。また、触れたり触れられたりという本物の人間関係への恐れが大きくなっています。
“アメリカでデスクトップとモバイル機器の両方でオンラインで過ごした合計時間の約20%はSNS上にあります。Facebookだけでも、オンラインで過ごした全体の時間中の14%を占めます。これほどの時間をtwitterやFacebookのようなSNSに私たちは人生の大部分を使い果たしていますが、こんなことも考えてみてください。:SNSは人々の考え方にどのような影響を与えるのか、特に、グループシンクを引き起こしているのか?”3

18世紀に、ジェレミー・ベンサムとうい名の人物が、パノプティコン(全展望監視システム)という建物を設計しました。パノプティコンは、一人の見張り番が同時に投獄中の複数の受刑者を監視することを可能にしました。いまや形勢が逆転し私たち一人一人が沢山の同僚たちから監視されています。Internet of Things(IoT: 物をインターネットに繋ぐこと)と言うものは、私たちを監視する台所用家電、自動車、スマートメーター、カメラであり、その他に埋め込み型の電子部品、ソフトウェア、センサー、作動装置や接続器は日常の全てを記録しています。これらの記録は、マーケティングの担当者、ハッカー、政府機関またはトラブルメイカーがアクセスできる “ビックデータ”というクラウドストレージに保存されます。クレジットカードのチップや心臓モニタリング移植片のいずれにせよ、これらの全てのサイバーフィジカルシステムは私たちからありとあらゆるプライバシーを奪いました。あなたの野菜バーガーのバーコードが冷蔵庫と通信し、インターネット上であなたが見ている広告が変わることはそこまでは気にならないことだったかもしれません。あなたの睡眠サイクルが監視されること、あなたの電気利用が計測されることも、個々でみればたいして重要ではないと思うかもしれませが、総合的にみると監視技術はますます普及し、規制されず、誤用され、結果的にどうなるかというと、皆さんのフリーダムに影響が出てくる可能性があります。

あなたのヨガのクラスはグループシンク的経験でしょうか?あなたのヨガの先生は触れることや触れられることを恐れる人ですか?
ヨガのクラスはリアルタイムに実在の人々と一緒に行うクループ活動であり、またユニークで無限なお互いの存在を祝うためにの活動でもあり、また自己中心的なフォーカスからの一時的な休息を提供する場でもあります。ヨガのクラスではSuper Conscious(コンシャス=意識)を持って皆と一緒に動きます。ヨガのクラスでは、皆さんはIoTからの休息をとり、知覚の扉を開くことが可能になります。ヨガの修練は神と信者の間の対話なのです。

私たちはインターネット上で無意識的に思考のサークルを出入りします。インターネットの体験は仮想であり、 隔離され、匿名であることが多いです。インターネットは知覚の扉を閉ざし、協調の影の下で個人を隠します。ソーシャルメディアは、友情の責任を持つことなどなく友達を持てる感覚を与えてくれます。ソーシャルメディアは誤った総意の影響により構成員たちの幻想を作り出し、世界を見る(見ない)フィルターバブル(インターネットの検索サイトからフィルターを通して他の情報を遮断し、自分のみたい情報しか提供されないこと)となります。インターネット上では集団的ナルシズムのグループシンクを可能にしながら、誰とも実際に触れ合うことはありません。
グループシンク(Gourpthink)は現実を隠します; ヨガシンク(Yoga-think)は現実を明らかにします。人々が真に寛容で勇敢になるために個人データと己の小ささを消し去るという権利を取り戻そうとすれば、慈悲と思いやりの神は現れるでしょう。

Translated by Aiko & Heeki