マウナ(沈黙)は黄金

by Sandy King |
October, 2019
サティヤム ジュナーナム アーナンダム ブラフマ सत्यम् ज्ञानम् आनन्दम् ब्रह्म

真実、智慧、至福、絶対

-ジヴァムクティ チャントブック 頁4 - 8

平均的な人は1日に16,000の言葉を話すと推定されています。なんてことでしょう!とても沢山です!もしも私たちが時々、沈黙の誓いを立てたら、私たちのサダナはどのようなものになるのでしょうか。11年の間、スワミ ニルマラーナンダ(シャロンとデイビッドの最初のグル)は日々この練習をしました。つまり何も言葉を発しなかったのです。代わりに、マウニとして過ごしていた間、「無政府主義スワミ」は自分のエネルギーを話すことではなく書くことに注ぎました。世界中の政治指導者たちに向けて、彼の平和と非暴力のメッセージを届けていたのです。

マウナは話すことを制約する神聖な訓練です。それは、これはスピリチュアルな経験が訪れることを通した規律であり、マインドの静寂によって決まって特徴づけらる意図的な沈黙を守ること、そして、音に対する感受性を高めます。続いて、沈黙の穏やかな影響が、物事をより明確に見ることの助けとなります。まるで、穏やかな湖の水に、物がそのままの状態で映るように。これによって、自分自身と自分の周りと深く繋がるようになるのです。

もし、マウナを練習することにしたら、恐らく私たちは単純に話さない事から始めるでしょう。そののち、読むこと、書くこと、そして他者とのアイコンタクトを断つようになるかもしれません。つまりは、最小限だけどマインドフルな行動への練習へとなっていくということなのです。まず最初に自分を邪魔するものを掴もうとする傾向に気づくでしょう。例えば、携帯をチェックしたい欲望や本を手に取ることや、音楽をかけて沈黙から退くことなど。これらの衝動に応対する前にこれらの主張に気付くことが出来るでしょうか。マヌアの練習中にこれらの欲望が増幅するのは、私たちのチッタ ヴリッティ(ぐるぐる回るマインドの活動)が突然に認知されるからなのです。私たちは1日に数万の思考を持つと推定されています。しかしそれは、私たちがその状態への気づきが邪魔されていない時だけです。私たちが目撃者(サークシ)である時、私たちは応対するよりも観察します。これは、コメントする必要を感じていない状態で、会話において目撃者でいるという真の姿です。単純に相手が話す余地を与えるということは驚くほどに謙虚なことです。アラン ワッツは、真の沈黙のことを「思考するのを止め、真実を真実のまま経験すること。何故なら結局のところ、もしずっと話していたら、他の人が言わなくてはいけないことを誰のことも聴くことが出来ないのだから!」と言います。自分が一杯の時は聞くことができません。空っぽが共鳴のためのスペースを許容するのです。私たちが空っぽの時に私たちは、マーンドゥーカ ウパニシャッドに記述されているようなOMの音を聴くことが出来る状態になるのです。仏教徒はそれを「空」と言います。

大抵の場合、沈黙は音の無い状態と定義されます。しかし、自然科学者なら恐らく、真の沈黙は存在しないと反論するでしょう。自然界において、過剰な音の公害から来る人類学的障害は、音響生態学者のゴードン ヘンプトンに言わせると、沈黙は絶滅の縁だということになるのです。もちろん、野生生物も私たちがしているように意思伝達をします。私たちが自然を観察するならば、私たちは彼女には言うことが沢山あると認識するでしょう。オーストラリアのヴィーガン活動家のジェームス アスペイは2014年の1年間「話さないこと」を実行しました。彼は、動物への意識を上げるという自分の意図を説明すべく国営放映で沈黙を破りました。「私は話すのを止めました。何故なら彼らは話さない、と私は思ったからです。しかし、私は彼らは話していないのではないということに気づきました。彼らは痛みに泣きます。彼らは恐れに叫びます。そして、彼らがそういったことをする時は、彼らが苦しんでいることを私たちに伝えるために彼らの声を使っているのです」私たちも、沈黙は存在だ、という違う視点からの解釈が出来たでしょう。他者と、自分自身と、あるいは自然と共に座り、彼らが何を言わなければならないのかを聞く機会だと解釈出来たでしょう。

人類の相互作用において、多くの意思伝達は言葉によってされ、単独ではありません。事実、言葉は私たちの意思伝達においてはほんの小さなパーセンテージしか占めないのです。代わりにボディランゲージや声のトーンの方が多くを伝えると、多くの文献において、そう信じられています。私たちはこの概念を人類だけではなく、動物や自然の中に適用する事が出来るでしょうか。静かでいることは、受動的な隣人でいるという行動ではありません。そうではなく、真実を観察し、私たちが見る世界に対してどう対応するかを意識的に選択するという過程なのです。10年以上マヌアを実行したスワミ ニルマラーナンダでさえ、彼が目撃していた世界の不公平についての沈黙を続ける機会とはしませんでした。

私たちが話す言葉の、そして言葉を控えることの黄金率を見つけられますように。そして、それが私たち皆を、自分の内と外の平和を経験することへ、その道しるべを示してくれますように。真実を、智慧を、至福を、そして絶対を、知ることが出来ますように。

Teaching Tips

1.先生としているとき、どれだけ本当に話す必要があるか自分で試してみてください。どれだけのダルマを与えなくてはいけないでしょうか。クラスの時、インストラクションをシンプルに出来ますか。クラスにおいて、空間を埋めるためにシンプルに話すという時間がありますか。もし、あるなら、黙ることが出来ますか。これがクラスにどの様に影響するか注意してみましょう。

2.クラスのあいだ、沈黙の時間を探求しましょう。例えば、サランバサルバンガアサナやシャバアサナの時。キルタンチャントの後に沈黙のまま居ましょう。音楽無しでクラスを教えましょう。

3.沈黙するこによってどれだけ自分が他人に、また周りの世界に敏感か知るために、沈黙期間を持つ事を自分に課して、沈黙の練習を生徒に勧めましょう。単に話さないという事を含め、短い時間から始めましょう。それから、読まない、書かない、同様に、静かに座る、沈黙の食卓をする、という事へ今月を通して展開していきましょう。

4.瞑想の時間を長くしましょう。ウォーキングメディテーションをしてみましょう。

5. スワミ ニルマラーナンダ そして ティクナットハーンの文献を読みましょう

6.(www.soundtracker.com)音響生態学者のゴードン ヘンプトンの仕事について調べてみましょう

本文 サンディ キング

和訳 荒木沙実