The Secrets we keep inside 内に秘めた秘密

by Maria Macaya |
September, 2019
アヌブータ ヴィシャヤーサムプラモサハ シュムリティヒ

記憶(シュムリティ)とは過去の経験の呼び起こし、または保持することである。

YS1-11 シュリブラフマナンダサラスワティの解釈によるパタンジャリのヨガスートラ

秘めたまま語られることのない記憶、一片の知識、など、私達が秘密を持つ理由は数多くあるものです。愛する人を驚かすための秘密だったり、誰かの感情を傷つけないための秘密であったりします。恐れがあって秘密にしたり、ブライドのために、または恥ずかしい感情から、秘密を持つこともあります。そういったものは意識的な秘密と言えるもの、つまり自覚がありながら秘密にするたぐいのもので、たいていは静かに秘められているけれど、ふとしたきっかけで、例えば手触りや音、視覚や嗅覚など、気づきをもたらすきっかけで表面化されるものです。

同じように秘密といっても私達に自覚のないまま秘められた秘密もあります。知らないうちに私達の身体細胞の奥深くに隠れた秘密です。それは私達が意識して記憶するより以前からある記憶、難しすぎてその意味を理解できないような記憶、納得するにはあまりにもかすかな記憶、トラウマのために意識的な脳には記録されないような記憶、など、記憶やサムスカラ(過去に受けた印象)は捉えがたい印象を残し、無意識に私達の習癖や自己意識、期待感や気質に影響を与えます。

人はトラウマになるような出来事に遭遇すると、記憶の形成や言語に関係する脳の一部が遮断されるということが神経科学で明らかになっています。それは一種の防衛構造であり、「選択的記憶」とも呼ばれているものです。けれど私達の身体はすべてを記憶しているので、五感に蓄積されたものが隠された記憶を刺激してイメージを浮かび上がらせることもあり、時には私達のムードや神経組織に影響して、私達を不安にさせたり、怒らせたり、怖がらせたり、悲しませたり、と意識のレベルでは説明のつかないことがおきるのです。

脳が内受容的であるのは、脳に身体の内側の状態を感じ取る能力があるからで、その感情や差し迫った必要性を感じ取るからなのです。内受容性を意識すると、隠された秘密にとっては経路が開くことになり、理性(マインド)を通して伝達されたり、承諾されたり、理解されたりすることで、秘密は処理され解放されることになるのです。こうしたことが起こるのに最も必要なツールは、動きと呼吸、つまりアサナとプラナヤマです。これによって、理想としてはヨガの実践という安全な空間で、私達の蓄積された記憶が目を覚ますことで、こうした記憶を乗り越えて、記憶の影響から私たち自身を解放できるのです。

私達の身体の様々に異なるパーツがそれぞれにメッセージや感情をかかえています。たとえばヒップには恐怖や不安や哀しみ、またはそうした感情に関係するあらゆる瞬間が保持されているし、”carry the weight of the world”という成句(意味:世の中の重荷すべて・大きな心労)でたとえられる場所である肩は、手放す能力のなさを蓄えて重荷を負っており、腰には私達の罪の意識と抑圧された感情が留まっていて、膝はエゴとプライドの関節(結び目)で曲げる能力のなさを持っているし、首の痛みは頑固さや、物事の違う側面を見ることを拒否していることの現れ、といわれています。チャクラは関係性ある世界を理解するためのカギです。チャクラの輪が回ればエネルギーは流れ、チャクラの輪が回らないときエネルギーはブロックされます。記憶は身体のどこかのパーツで痛みとして感じたり、またはブロックされたチャクラとして感じられますが、それぞれが動くことで解放もされるのです。

トラウマのセラピーや、中毒回復セラピーや、憂鬱や不安といった心的状態の不調の治療という点において、ヨガは練習・実践している人にとって、時に失ってしまいがちな身体との結びつきを再びつなぐことを可能にします。たとえば病気に対して注意を払っていなかった場面や、事故や虐待などにあったとき守れなかった場面などで、壊れてしまった信頼を再び築き上げようとするとき、ヨガはその機会をもたらしてくれるものです。抑圧された記憶や自分への不信感と世間への不信感は、再び表面化しますが、それは回復のための経路が開き、浄化して、前進することなのです。ヨガによって私達は、自分に必要なものを知る能力が身につき、その必要なものを自分自身に与えるツールも持っている、ということに気づくことも可能になるのです。

私達の多くが、ヨガクラスで自分の感情が思いがけず表面化して、怒りやストレスや哀しみ、または幸福を感じた、という経験があるはずです。多くの場合、私達の身体とのつながりが失われる経験をするために、わざわざトラウマになるような出来事に苦しむ必要なんてないのです。私達の多くにとっては、ヨガジャーニー(ヨガという旅路)をはじめると、たとえば「右足を前に出して」とか「右太ももから回した左腕を握って」など、すごくシンプルなインストラクションはまるで月にたどりつくための数学的な方程式のように思えます。自分の手、足、ヒップに親しむことは、自分の身体と感情と蓄積された記憶とがコミュニケーションをとるための通信回線を開く最初のステップなのです。

ヨガは友、あなたが秘密を抱え、それを誰かに伝えずにいられない気分の時、あなたとテーブル越しに座ってくれる友です。ヨガは友、そのすべてを理解する手助けになる友です。

Teaching Tips

1.ヒップや腰、肩など身体の特定のパーツに働きかけるクラスで、それらのエリアに蓄積された記憶や感覚や感情について背景の意味を説明しましょう。
2.チャクラに取り組み、身体のそれぞれの場所にチャクラが関連する関係性について説明しましょう
3.厳格なヴィンヤサを教えましょう、そうすることで生徒は呼吸や動きをツールとして使い、内受容的な傾向へ空間を作ることで、自分の内側へ入りこむことができます
4.クラスで一定の時間を使っていつもより長い時間アサナを保持してみましょう、深く居座った緊張を消散できます
5.呼吸への気づき、またはプラナヤマを利用して、身体と心のつながりを作り上げ、身体にある神経生理学への働きかけをしてみましょう
Additional Information that may be useful: 役に立つであろう追加情報として
Justice Resource Instituteでの研究によると、トラウマが再発するかもしれない機会を減らすため、生徒が抱える困難(必要なもの)や、先生のアシストは受けたくないという選択、ドアの近くで練習したいという好み、シャヴァアサナでは目を開けていたいという好みなど、に対して敬意を払うことが推奨されています。
ダン・シーゲル氏の”Window of tolerance”は、憂鬱や不安など気分の不調を抱える生徒に対処するとき役立つツールです。この理論では、生徒と出会うとき彼らが自分の居場所にいて、そこからwindow of tolerance(許容の窓)まで導くことが最善であると述べています。つまり不安やストレスに苦しむ生徒との出会いはまず太陽礼拝の活動モードから、次第に導いてより穏やかな練習へ、また、うつ状態に苦しむ生徒には子供のポーズから次第によりアクティブな力強い練習へ導くようにします。Window of tolerance(許容の窓)とは、過多で過少な刺激、不安、気分の落ち込み、またはラジャシックでタマッシクな状態でバランスの取れた感情と肉体の状態が、極端になることもない永続的でもない、しかも自分で調節できる状態のことです。

Tips for empathy: 共感するための助言として
ヨガ教師として、資格のあるセラピストでない限り、一番のツールとして生徒の手助けになるのは共感するというツールです。共感のテクニックは話し手が聞いてもらっているとか、見てもらえていると感じるようにするのを目的にします。そのためにお勧めなのは、注意深く聞くこと、同じまたは似たような文章で彼らの言うことを繰り返すこと、または「悲しい気分にさせるよね、怒る気分にさせるよね」といった反応をして彼らの感情に名前をつけてあげることです。共感の作業では、解決策を与えないこと、個人的な経験と比較して共有しようとしないこと、が最善です。

Recommended Reading: お勧めの読み物として
ベッセル・ファン・ダー・コーク “The Body Keeps the Score; Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma
デヴィッド・エマーソン”Trauma Sensitive Yoga in Therapy—Bringing the Body into Treatment